F4-[7]Helicene

[7]ヘリセンの末端のベンゼン環をフッ素化すると何が起こるのだろうか

“Triple photochemical domino reaction of a tetrafluorostilbene terminating in double fluorine atom transfer”
Commun. Chem. 2018, 1, 97.
[DOI: 10.1038/s42004-018-0099-7]

Behind the Paper
“A controllable photochemical domino reaction via tetrafluoro[7]helicene”

2015年、私たちは、[16]ヘリセンを合成し、最長ヘリセンの記録を40年ぶりに更新しました(Angew. Chem. Int. Ed. 2015, 54, 6847–6851)。[16]ヘリセンの結晶構造は、ベンゼン環が3層で密に重なっています。一方、ベンゼン環の2層構造は、[7]ヘリセンから始まります。そこで、

[7]ヘリセンの末端のベンゼン環をフッ素化して電子不足にしたら、ベンゼン環の重なりはどうなるのだろうか?

と率直に思い、分子内でベンゼン環が重なる特異な構造(self-stacking)への興味から本研究がスタートしました。

末端のベンゼン環にフッ素を4個導入したF4-[7]ヘリセンの合成は、[16]ヘリセンと同様、スチルベン誘導体の酸化的光環化で行いました。しかし、反応後のNMRスペクトルから、F4-[7]ヘリセンが生成していると判断できませんでした。とりわけ、19F NMRスペクトルから、4個のフッ素が同一のベンゼン環上に存在しないことは分かったのですが、全体の構造が分からない状態が3ヶ月以上続きました。

生成物の構造は、X線構造解析によって初めて明らかになりました。2個のフッ素がビシクロオクタン骨格に転位していました。すなわち、光照射前は同一のベンゼン環上に存在していた4個のフッ素が、光照射後に2個のフッ素ペアに分離していました。[7]ヘリセンは、ベンザイン中間体を系中で発生させたり、強力なルイス酸で活性化したり、あるいは金属基板上で250 ºCくらいで加熱したりすることで、分子内でDiels–Alder反応が起こることが既に知られていました。したがって当時は、F4-[7]ヘリセンは熱的に不安定で、自発的に分子内Diels–Alder反応が起こり、さらに、自発的に二重フッ素転位反応が起こると推測していました(すなわち、1段階目のF4-[7]ヘリセンの生成のみに光が関与する)。


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二重フッ素転位反応生成物の19F NMRスペクトル
結晶構造のおかげで19F NMRスペクトルを解釈できるようになった。
2F-transfer 19F NMR

Photochemical domino reacion 2

この推測は、いい意味で裏切られました。光照射時間を短くすると、複雑な混合物から、F4-[7]ヘリセンとそのDiels–Alder反応生成物を単離することに成功しました。両者とも100 ºC以上で安定でした。光照射で生成したF4-[7]ヘリセンは、光照射でDiels–Alder反応を起こし、さらに、光照射で二重フッ素転位反応を起こす、すなわち、3段階の光化学過程からなるドミノ光反応が起きていることが分かりました。単離した中間体の構造もX線で確認しました。当初の予想どおり、F4-[7]ヘリセンの両末端のベンゼン環は、無置換の[7]ヘリセンよりも密に重なっており、静電的に好ましい相互作用が働いていました。


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ドミノ倒しのイメージを思い浮かべると、ドミノ反応の中間体は不安定で単離できず、その構造は推測せざるを得ないと考えてしまうかもしれません。しかし、各段階が光照射で進行するドミノ反応の場合、光照射時間を制御することで、意のままにドミノ反応を中断でき、そして再開できます。したがって、単離した中間体のX線構造を基にして、ドミノ過程を議論できます。そして、ドミノ過程を推測ではなく確定できます。これは、熱的に不安定な中間体を経るドミノ熱反応にはない利点の1つです。

photochemical domino image

縮環数が異なる他のF4-ヘリセンではどうなの?
今回のドミノ反応は、F4-[7]ヘリセンに特異的なものであり、縮環数が1個異なるF4-[6]ヘリセンやF4-[8]ヘリセンでは、光と熱の両方でDiels–Alder反応が起こらないことを確認しています。また、F4-[7]ヘリセンの光誘起Diels-Alder反応や、その後の光誘起二重フッ素転位反応は、とりわけアセトン中で速やかに進行することも分かっています。

F4-[6] or [8]helicene

ドミノ反応の中間体のX線構造にこだわったが・・・
スチルベン誘導体の酸化的光環化でF4-[7]ヘリセンを合成すると、何か不思議なことが起こることは2016年の年末には分かっていました。2017年、F4-[6]ヘリセンの論文が別の研究グループから発表されたときには本当に驚いたのと同時に焦りました。F4-[6]ヘリセンもスチルベン誘導体の酸化的光環化で合成しており、F4-[7]ヘリセンの特異な光反応性に彼らが気づくのも時間の問題ではないかと。

ドミノ過程が推測の状態でもよいので、F4-[7]ヘリセンの論文を一刻も早く出さないと、これまでの苦労が全て無駄になってしまう。でも、ドミノ反応の中間体を単離して、そのX線構造を基にドミノ過程を可視化したい。だけれども、中間体の単結晶を作成できない・・・この葛藤と苦悩が1年以上続きました。当時は、SciFinderでF4-[7]ヘリセンの構造検索や文献検索をするのが怖く、検索結果がゼロになる度に安堵していました。

ドミノ倒しでは、セットアップの段階でドミノ牌を倒さないよう、細心の注意を払ってドミノ牌を並べる必要があります。同様にドミノ反応の解析でも、次の段階の反応が起こらないよう、反応条件を精密に制御する必要があります。その努力の見返りとして、前例のない光誘起二重フッ素転位反応を発見することができました。

本研究内容の詳細については こちら をご覧ください。
本記事は、Behind the Paper の日本語詳細版となります。

ナフタレンのDiels–Alder反応 — 過去の研究との不思議なつながり —
制限された孤立空間内での2分子反応は、反応部位が近接して固定されるため、通常では不可能な反応が可能になります。例えば、八面体型の中空錯体内にナフタレンとマレイミドをペア包接すると、ナフタレンのDiels–Alder反応が100 ºC以下でも起こるようになります(J. Am. Chem. Soc. 2010, 132, 2866–2867)。

similarity

今回のF4-[7]ヘリセンの光誘起Diels–Alder反応は、ナフタレン環(ジエン)とテトラフルオロベンゼン環(ジエノフィル)が、剛直ならせん骨格をもつヘリセンによって強制的に近接したため、特異反応が可能になったと見なすことができます。今回発見した光誘起二重フッ素転位反応も、反応前の段階で反応部位が近接・固定化されていること、すなわち、preorganization がキーワードになっています。過去の研究との不思議なつながりを感じた瞬間でした。


本研究を進めるにあたり、実際の合成やドミノ反応の解析を担当してくれた松田千可子さんに感謝いたします。また、X線測定ならびに論文執筆では東京大学・足立精宏くん、澤田知久准教授、藤田誠教授に大変お世話になりました。


*JSmol: an open-source HTML5 viewer for chemical structures in 3D. http://wiki.jmol.org/index.php/JSmol#JSmol.